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宮城県亘理郡山元町の震災遺構「中浜小学校」を訪ねる

自分には勇気がありませんでした。

2011年3月11日の大津波で被害を受けた学校を公開している事を知っていましたが、今まで見に行く勇気はありませんでした。

地震の時は偶々山道を走っていて、大津波を実際に見た訳では無いですが、夕方から部屋で一人で映像を見ていました。その映像が脳に焼き付いているので、津波で破壊された校舎を見れば容易にその恐ろしさが想像出来るからです。

震災で亡くなられた方々がいる中で、ブログに書いて良いのか迷いましたが、今回訪れた中浜小学校では、当時の中浜小学校の児童教職員保護者90名全員無事に救助されています。震災遺構として後世に伝える意味で校舎を残していると思いますので、このブログで少しでも伝えられたらと思います。

今年の3月で大震災から10年目で、記憶も薄れつつあります。当時の中浜小学校でどのようにして90名が無事に救助されたのかを、案内人から聞いた話をもとに写真を交えて紹介いたします。当時の先生にも案内して頂きましたので、貴重な体験談を聞くことが出来ました。

90名は何故無事に救助されたのか

  • 校舎は平成元年に建て替えられその時に敷地全体を2mかさ上げしていた。
  • 津波・高潮からの住民の避難を想定して外階段を3か所設置していた。
  • 3月11日の数日前から地震が続いていて避難の準備を繰り返していた。
  • 屋上に物置場を設置していたので、そこに避難できた。
  • 毛布が濡れない袋に保管されていて、流されないで残っていた。
  • 津波が何波も押し寄せて、引き波とぶつかり合い津波の高さが抑えられた

子供達に津波と津波による被害状況を見せずに済んだ。

  • 屋上に避難した際、屋上が壁に囲まれている構造で、外を見れないようになっていた。
  • 児童は先生の指示に従い津波が来る前に屋上の物置場に避難していた。
  • 津波が終わったあとに、校庭にがれきが残っていなかったので、救助用ヘリが着陸出来た。
  • 津波後の校舎の中を見せずに外階段から校庭に出られた。

それでは、震災遺構を見学に行った時の事を紹介します。

黄色いハンカチ

  • 黄色の旗が遠くからでもよく目立ちます。校舎の隣に建てられていて何か分かりませんでしたが、後で墓地の跡ですと聞かせれました。

管理棟

  • 震災遺構の管理棟が設置されていたので、そこで受付をして入館券を購入します。

  • 入館券は400円でパンフレッドを渡されます。

  • ガイドブックを200円で販売しているので、購入する事をお勧めします。

校舎へ

  • 震災遺構公開の横断幕ですぐ分かります。

  • 外構フェンスに大きな案内板が設置されています。

校舎の中

  • 管理棟から校舎入口までは案内して頂けます。そのあとは見学コースの案内看板があるのでそれに従って歩くことになります。それでも要所、要所に案内する人はいるので説明を聞くことが出来ます。
外構から中に入るとすぐに学校のシンボルだった時計台が倒れています。津波の威力や向きを知る手がかりとなる痕跡です。    

時計台の脇を通って校舎の入り口になっています。

  • 校舎の中に入ると見学者用の通路は新しく作られていますが、津波の被害状態はそのまま残っていました。
  • 今まで、映像では何度も見ていますが、実際に生で見ると津波の破壊力を肌で感じられます。

  • 見学は1階から2階をぐるり回れるようになっていて、図書室に地域の模型、校舎の模型が設置されています。
  • 視聴覚室でビデオの上映もあります。

屋上への階段

  • 屋上へは当時の先生が案内してくださいました。
  • 屋上への階段は、児童が普段使用しない資料室の中にあって、児童の多くは屋上に避難する際に、初めてこの階段の存在を知ったそうです。
  • 校長先生は、学校の校舎の高さと敷地のかさ上げを計算して、津波がこれ以上の高さにならない事を願い、覚悟して屋上へ行く事を決断したそうです。

何故、屋上へ避難したのか?

  • 3月11日の数日前から地震が続いていたので、その都度避難場所までの時間を計算していた。震災当日津波の情報を得た時に到達時間を計算した結果、近くにの避難場所まで逃げ切れないと判断し、校長先生は屋上に逃げる事を決断しました。通常の避難場所を選んでいたら間に合わなかったようです。

  • 屋上には、同じ場所から津波を撮影した写真が置かれていて、津波時と現在の状況が比較できるようになっています。

  • 屋上から中庭を見た写真です。2階上まで津波が来ていたことが分かります。

  • この写真では、1階の窓と2階の窓の破損状態が違うことが分かります。
  • 屋上は校舎の屋根に囲まれていて周囲が見えないようになっています。これが児童に津波の状況を見せずに済んだ理由です。

一夜を過ごした場所

  • 一夜を過ごしたという物置場へ案内されました。
  • 校舎の屋上には、運動会で使う小道具をしまっておく物置があります。
  • 三角屋根の屋根裏になりますが、鉄骨むき出しで下はコンクリートの床です。(撮影は禁止の場所)

  • 写真の青い線が津波の高さで、その上にある屋根の部分に90名が避難し、津波で教室が破壊される音を聞いていたそうです。そして寒い一夜を過ごしました。
  • 夜になると氷点下になるのでコンクリートの床はかなり冷え込みます。
  • 全員で小道具の中から下に敷ける物を探して敷き並べました。
  • 大人達は体育館から毛布を探し出し、偶然にも濡れていない毛布を見つける事が出来て、児童2人に1枚使用できたそうです。

全員救助

  • 津波のあとに残されるがれき類が、校舎敷地がかさ上げされていた御陰なのか、校庭にはがれき類が残らなかったそうです。そのため救助用ヘリコプターが校庭に着陸出来たそうです。

  • 敷地全体の2mかさあげが一番の予防効果だった感じがします。

  • 校舎内はぐちゃぐちゃで、内階段は使用できなくても、外階段3か所設置していたので外階段を使用して校庭に降りてヘリコプターで救助されたそうです。

視聴覚室

校舎の視聴覚室では、当時の状況について校長先生の話と津波の映像の上映がされています。

壁には当時の状況を時系列にまとめたものが掲示されています。

最後に

ガイドブックには、災害の備えのチェック表が載っています。近年、どこにどのような災害が起きるか分かりません。災害の備えは日頃からの準備が大事なのだという事を、今回見学してみて改めて理解する事が出来ました。

Clematis Flowers Climbing Plants  - GAIMARD / Pixabay

POSTED COMMENT

  1. やっぱり勇気は中々出ませんよね。
    当時の映像を見るのだって躊躇してしまうのに
    実際の場所に行くとなると…
    記憶は薄れても何かの瞬間に蘇るかもしれないし。
    画像を見ただけでドキドキしちゃいます。

    それにしても、数日前から訓練をしていたとか
    沢山の準備が大切な命を救った事…本当に良かった、って思いますね。

  2. みー より:

    もうわからない世代になってる気がします。けどまだまだ解決できてないし忘れないでいないとと思ってます。
    そういえば無事広告出てるのかな?コーヒーのとかデリバリーのとかがそうなのかな

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